ナジャ 考察

ナジャ アンドレ・ブルトン作 1928年

 

✳︎本稿ではあらすじ、本書の登場人物、作者の紹介は行いません。

本書の中で私が主題に関係すると思った箇所、難解だと感じた箇所を考察しており、主に本書を一読された方を主な対象としております。

また、メモ帳形式となり見にくい箇所もございますがあらかじめご了承ください。

 

①私は誰かが意味すること、幽霊が意味すること

私とは誰かを追いかけることその点で実態がない幽霊に合う。また、私とは何かとはまだ未知な全体としての私を一つ一つ探し出していく行為であり、日々の実践により達成される

実存主義的な考え方に近い

第3部と合わせるとブルトンは女性の尻を追いかけてるという印象


②写真を用いたわけ

あらゆる記述を排除することが目的

写真を用いることで記述を減らそうとする

→文章による記述を信用していない


ブルトンは狂気をどのように捉えたか

朝まで話を聴いても飽きることがないとシュルレアリスム宣言では語る

→実際に狂人と接すると引いてしまうブルトン

狂気に恋が冷める

ブルトンは自由を目指した。

ナジャこそが人間が解放された姿

羊歯の目が開かれた:ターニングポイント

→狂気に染まっているのか?、美の痙攣か?


④ナジャのイメージと神話

ブルトン:火、手→神=物語の創造主を連想

ナジャ:水→身をまかせるもの

ナジャはブルトンと過ごした日々を残すため物語それも神話にしたかった。

ナジャ:希望の始まり=物語の始まり


ブルトンとナジャとの双方の想い

ナジャはブルトンにゾッコン、ブルトンの興味があることを必死に勉強した?

その盲目的な愛は車の運転中に目隠しをするエピソードから破滅願望とも取れる

ブルトンは初めはナジャの言動に惹かれたが徐々に狂気に怖気付くようになる

第三部でナジャに対する思いを回顧的に語るがそれはほかの女性との交流を通じて

→ナジャはブルトンにとって恋人として特別な存在ではなくシュルレアリスムの思想の体現者=精霊、対象に過ぎなかった


⑥痙攣的な美とは

私は誰かにー私は誰を追っているかに対する答え

ブルトンは痙攣的な美を追う

シモーヌ、ナジャ、シュザンヌに感じていたもの=女性に美を見出す

痙攣的な美=無意識、偶発的に起きる現象


狂気の愛より痙攣的な美とは

エロティックでヴェールに覆われているか、

爆発的ー固定的であるか魔術的ー状況的であるかのいずれか

美ー愛:美的と性的(ブルトンは痙攣的な美が起こる理由を精神分析から性欲であると論じる)

爆発的ー固定的:静と動の間を捉えたもの

魔術的ー状況的:狂気ー論理

→一見、相反する二つの事象の境界や包含するものからブルトンの美が見えてくる

デカルト以降二律背反に重きを置いてきた西洋文化にない新しい考え方→ポスト構造主義先駆け

シュルレアリスムは夢や無意識といった主観を極限まで追求する行為を通じて客観的事実を明らかにする。ナジャ=ブルトンの美の物語はまさにこれを体現するもの