S.カルマ氏の犯罪に関する考察
S.カルマ氏の犯罪 安部公房著 1951年
✳︎本稿ではあらすじ、本書の登場人物、作者の紹介は行いません。
本書の中で私が主題に関係すると思った箇所、難解だと感じた箇所を考察しており、主に本書を一読された方を主な対象としております。
また、メモ帳形式となり見にくい箇所もございますがあらかじめご了承ください。
●壁の外側と内側の世界
固有名詞と一般名詞=カルマ氏と彼
固有名詞とは他社に認知され始めて成立
→名前の喪失とは固有性の喪失
→固有性に溢れた私の私的空間=内側の世界
●固有性の喪失と物質への還元
名前の喪失=固有性の喪失
固有性の対義語は一般性、言い換えるなら主観から客観=物質の世界へ
-名前を失ったことにより彼の権利、罪の消失
-ものを切るからハサミと定義されるように道具と しての意味合いが強い→人間側からの搾取
Y子への愛=特別なY子という特別な女性を愛する
=彼が人間=特別な私はでいるための最後の綱
マネキンになるY子
→昔見慣れていた人形であった
→特別でないY子
→彼が物質世界に同化している証拠
●世界の果てと壁
世界の果て=自分から1番遠い場所
地球は球体である
→球場で四方から極限までいった場合ある1点に凝縮する→世界の果ては身近になる→世界の果てが自分の部屋という矛盾
→世界の果てと自分の部屋は同じ
→壁とは内と外を隔てるものであると考えられがちだがそんなものは実際にはない。
→あるとすればそれは天と地を分ける地平線にほかならない
自分の部屋と対立する極としての世界の果てを発見することで真の世界の果てへと至る
二つのポールを結びつける
→世界に外も内もなく同質的なものであるという発見に至る
対立する極とはキャバレー=物質世界=私にとって何の特別性ものない世界の果てと、特別な空間である私の部屋にとの融合
→主観的な世界と客観的な世界の融合
冒頭の陰圧のシーン
一帯に広がる曠野はイメージしやすい世界の果て
=しかも物質である絵それを自らに取り込む
自分が絵=物質を取り込むというという構図
→クライマックスは物質から自分へと取り込まれる構図
→双方のベクトルから世界の同質化が図られている
●僕から彼へ
見る対象から見られる対象に
→壁を見つめたことにより彼にとっての内と外という概念がなくなる
→認識者としての私=カルマの焼失
壁が消える→壁が形而学上=人間とは便宜上設けた世界を限定するものに過ぎない
=壁しかし世界にはもともと壁などない
●成長する壁とは
主観と客観が融合する場所
→壁にほかならない
→認識者としての私と実在する私との交差点が壁であり、私は壁に他ならない
成長する壁とは私=カルマの成長
●他の作品との共通点
バベルの塔のとらぬ狸
透明人間という摩訶不思議なものに恐怖する人々→陰圧を警戒するよう見知らぬものへの恐怖感
→得体の知れない不安感がある時代
液体人間に恐怖する洪水にも同じ
赤い繭
自分のものじゃないと分かった途端に女が壁に変わる→自己と他者を分ける
洪水
液体人間が世界中に広がる
→物質に帰化した人間
貧しい人から帰化していく、富めるものはそれに恐怖する
魔法のチョーク
壁=描く対象、想像の表現物
食べ物は壁であった
壁をリンゴと思って食べた
チョーク=硫酸カルシウムと炭酸カルシウムが原料
壁=硫酸カルシウムを材料とする石膏
→壁とチョークは同じ材料であることから壁にチョークで描いたものを食べれば当然壁と同質化する