老人と海 考察

老人と海

アーネスト・ヘミングウェイ

1951年間

 

✳︎本稿ではあらすじ、本書の登場人物、作者の紹介は行いません。

本書の中で私が主題に関係すると思った箇所、難解だと感じた箇所を考察しており、主に本書を一読された方を主な対象としております。

また、メモ帳形式となり見にくい箇所もございますがあらかじめご了承ください。

 

なぜ主人公が老人か

ヘミングウェイの年齢がそうだから

漁を通じて自らの人生を見つめ直す


少年  マノーリンの意味

老人の話相手であり理解者

老人が語ることの一部が虚言であることも理解

そもそも老人が創り出した幻想?

・なぜ途中で少年は老人のもとを去るのか?

直接の理由は父親に言われたため

・大魚との戦いの際に老人が彼を思ったのはなぜ?

老人が1人で大魚と戦っていることがポイント


海について

恵の海

→鮫に食べられるのを海で取った大魚を海に還すともとれる

戦いの象徴

→日常生活は覚束ないながらも海では戦う男


大魚について

敵、友、同士

カジキとの戦いは若かりし頃、自分が一番輝いていた頃の再現=ライオンの日々


鮫について

死んだ魚を狙う。誇りがない

大魚を釣り自らの漁船に繋ぐ行為

→カジキを自らの身体の一部(身体の拡張)

→鮫がカジキを徐々に蝕むという行為は自らの身体の衰えを表す

→鮫への抵抗=老いへの抵抗

→最終的に骨だけになったということは老いには逆らうことができない

鮫はカジキほど大きくもなければ強くはない

→そのカジキが破れるということは純粋な強さだけでは勝ち得ないということの証明


若さについて

ライオンの夢:自らの勢いがあった頃

→老人は若かりし日に憧れているのか?


メルヴィンの白鯨との比較

漁船と捕鯨船

個人戦と集団戦

カジキとモビーディック

→巨大魚という点で類似

勝利と敗北

サンティアゴは勝利するがエイバムは敗北

くるみ割り人形とねずみの王様

くるみ割り人形師ねずみの王様

E.T.A. ホフマン

1816年

 

✳︎本稿ではあらすじ、本書の登場人物、作者の紹介は行いません。

本書の中で私が主題に関係すると思った箇所、難解だと感じた箇所を考察しており、主に本書を一読された方を主な対象としております。

また、メモ帳形式となり見にくい箇所もございますがあらかじめご了承ください。

 

外的世界と内的世界の交流

外的世界=実際の世界

内的世界=マリーの心の中の世界

その仲介人がドロセルマイヤー

→固いくるみのメールヘンの話などマリーに創造力の源泉を与える

→物語中に自分を登場させるのは物語にリアリティを持たせ外的世界と内的世界を上手く接続するため


おとなの世界とこどもの世界

写実主義ロマン主義

ドロセルマイヤーの作品はとても精巧である

→おとなはその仕組みに感心し、こどもはその作品に感動する

→内面的な仕組み=科学と表面的な作品=印象

→ドロセルマイヤーはおとなにとっては技術者でありこどもにとっては魔法使いである


事実と意味付け

くるみ割人形はくるみを割るための存在である

→事実、おとな的世界観

フリッツに歯を折られ、顎を外されたくるみ割人形はその時点でその存在意義を失う

→おとなであるドロセルマイヤーはくるみ割人形のその本分としての機能を回復させる

→一方、こどもであるマリーは剣を与えるというおとなの価値観としてはくるみ割人形には必要のない特性を与える

→これこそこどものもつ創造性 

ナジャ 考察

ナジャ アンドレ・ブルトン作 1928年

 

✳︎本稿ではあらすじ、本書の登場人物、作者の紹介は行いません。

本書の中で私が主題に関係すると思った箇所、難解だと感じた箇所を考察しており、主に本書を一読された方を主な対象としております。

また、メモ帳形式となり見にくい箇所もございますがあらかじめご了承ください。

 

①私は誰かが意味すること、幽霊が意味すること

私とは誰かを追いかけることその点で実態がない幽霊に合う。また、私とは何かとはまだ未知な全体としての私を一つ一つ探し出していく行為であり、日々の実践により達成される

実存主義的な考え方に近い

第3部と合わせるとブルトンは女性の尻を追いかけてるという印象


②写真を用いたわけ

あらゆる記述を排除することが目的

写真を用いることで記述を減らそうとする

→文章による記述を信用していない


ブルトンは狂気をどのように捉えたか

朝まで話を聴いても飽きることがないとシュルレアリスム宣言では語る

→実際に狂人と接すると引いてしまうブルトン

狂気に恋が冷める

ブルトンは自由を目指した。

ナジャこそが人間が解放された姿

羊歯の目が開かれた:ターニングポイント

→狂気に染まっているのか?、美の痙攣か?


④ナジャのイメージと神話

ブルトン:火、手→神=物語の創造主を連想

ナジャ:水→身をまかせるもの

ナジャはブルトンと過ごした日々を残すため物語それも神話にしたかった。

ナジャ:希望の始まり=物語の始まり


ブルトンとナジャとの双方の想い

ナジャはブルトンにゾッコン、ブルトンの興味があることを必死に勉強した?

その盲目的な愛は車の運転中に目隠しをするエピソードから破滅願望とも取れる

ブルトンは初めはナジャの言動に惹かれたが徐々に狂気に怖気付くようになる

第三部でナジャに対する思いを回顧的に語るがそれはほかの女性との交流を通じて

→ナジャはブルトンにとって恋人として特別な存在ではなくシュルレアリスムの思想の体現者=精霊、対象に過ぎなかった


⑥痙攣的な美とは

私は誰かにー私は誰を追っているかに対する答え

ブルトンは痙攣的な美を追う

シモーヌ、ナジャ、シュザンヌに感じていたもの=女性に美を見出す

痙攣的な美=無意識、偶発的に起きる現象


狂気の愛より痙攣的な美とは

エロティックでヴェールに覆われているか、

爆発的ー固定的であるか魔術的ー状況的であるかのいずれか

美ー愛:美的と性的(ブルトンは痙攣的な美が起こる理由を精神分析から性欲であると論じる)

爆発的ー固定的:静と動の間を捉えたもの

魔術的ー状況的:狂気ー論理

→一見、相反する二つの事象の境界や包含するものからブルトンの美が見えてくる

デカルト以降二律背反に重きを置いてきた西洋文化にない新しい考え方→ポスト構造主義先駆け

シュルレアリスムは夢や無意識といった主観を極限まで追求する行為を通じて客観的事実を明らかにする。ナジャ=ブルトンの美の物語はまさにこれを体現するもの

S.カルマ氏の犯罪に関する考察

S.カルマ氏の犯罪 安部公房著 1951年

 

✳︎本稿ではあらすじ、本書の登場人物、作者の紹介は行いません。

本書の中で私が主題に関係すると思った箇所、難解だと感じた箇所を考察しており、主に本書を一読された方を主な対象としております。

また、メモ帳形式となり見にくい箇所もございますがあらかじめご了承ください。

 

●壁の外側と内側の世界

固有名詞と一般名詞=カルマ氏と彼

固有名詞とは他社に認知され始めて成立

→名前の喪失とは固有性の喪失

→固有性に溢れた私の私的空間=内側の世界


●固有性の喪失と物質への還元

名前の喪失=固有性の喪失

固有性の対義語は一般性、言い換えるなら主観から客観=物質の世界へ

-名前を失ったことにより彼の権利、罪の消失

-ものを切るからハサミと定義されるように道具と     しての意味合いが強い→人間側からの搾取

 

Y子への愛=特別なY子という特別な女性を愛する

=彼が人間=特別な私はでいるための最後の綱

マネキンになるY子

→昔見慣れていた人形であった

→特別でないY子

→彼が物質世界に同化している証拠

 

●世界の果てと壁

世界の果て=自分から1番遠い場所

地球は球体である

→球場で四方から極限までいった場合ある1点に凝縮する→世界の果ては身近になる→世界の果てが自分の部屋という矛盾

→世界の果てと自分の部屋は同じ

→壁とは内と外を隔てるものであると考えられがちだがそんなものは実際にはない。

→あるとすればそれは天と地を分ける地平線にほかならない


自分の部屋と対立する極としての世界の果てを発見することで真の世界の果てへと至る

二つのポールを結びつける

→世界に外も内もなく同質的なものであるという発見に至る

対立する極とはキャバレー=物質世界=私にとって何の特別性ものない世界の果てと、特別な空間である私の部屋にとの融合

→主観的な世界と客観的な世界の融合


冒頭の陰圧のシーン

一帯に広がる曠野はイメージしやすい世界の果て

=しかも物質である絵それを自らに取り込む

自分が絵=物質を取り込むというという構図

→クライマックスは物質から自分へと取り込まれる構図

→双方のベクトルから世界の同質化が図られている

 

●僕から彼へ

見る対象から見られる対象に

→壁を見つめたことにより彼にとっての内と外という概念がなくなる

→認識者としての私=カルマの焼失

壁が消える→壁が形而学上=人間とは便宜上設けた世界を限定するものに過ぎない

=壁しかし世界にはもともと壁などない


●成長する壁とは

主観と客観が融合する場所

→壁にほかならない

→認識者としての私と実在する私との交差点が壁であり、私は壁に他ならない

成長する壁とは私=カルマの成長


●他の作品との共通点

バベルの塔のとらぬ狸

透明人間という摩訶不思議なものに恐怖する人々→陰圧を警戒するよう見知らぬものへの恐怖感

→得体の知れない不安感がある時代

液体人間に恐怖する洪水にも同じ


赤い繭

自分のものじゃないと分かった途端に女が壁に変わる→自己と他者を分ける


洪水

液体人間が世界中に広がる

→物質に帰化した人間

貧しい人から帰化していく、富めるものはそれに恐怖する


魔法のチョーク

壁=描く対象、想像の表現物

食べ物は壁であった

壁をリンゴと思って食べた

チョーク=硫酸カルシウムと炭酸カルシウムが原料

壁=硫酸カルシウムを材料とする石膏

→壁とチョークは同じ材料であることから壁にチョークで描いたものを食べれば当然壁と同質化する